ドラム型洗濯機のTVコマーシャルを見るたびに、「そんな広いリビングのどまんなかに洗濯機置く家なんてあらへんやろ」といつも思ってしまうたーちゃんです。おはようございます。
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フランスではキッチンに洗濯機を置くようですが、わが国はお風呂場の近くに置くことが多いようです。
わざわざ、リビングに水道管と排水管を設置して、洗濯機を置こうとする間取りを提案する設計士が入れば、即刻、解任するでしょう。
ところで、ドラム型洗濯機って、使いやすいですか?
一度、電気屋さんに行って見に行ったんですが、どう考えても上部から洗濯物を取り出すオーソドックスな洗濯機のほうが使いやすいような気がするんです。
中にはスマートフォンでピッってタッチすると、最適な方法で洗濯してくれる洗濯機もあるそうです。
でも、選択する時までスマートフォンを持っているなんて・・・どれだけスマートフォンに縛られたライフスタイルを送っているのでしょうか?
だいたい、洗濯物の量に応じて、洗濯時間とか方法とか自分で考えなさい。
スマートフォンの小さな液晶画面に頼って、何も考えずに生活すると、アホになりますよ。奥さん
というわけで、さっそく本題から入っていきます。
↓最後の県境を超えて、東京都に入りました。
![]()
箱根湯本駅を過ぎて、小田原を過ぎた時、天気は雲ひとつ無い快晴でした。
すでにガーミンは謎のリセットが2度あり、梅田新道からの経過時刻は分からなくなってしまっています。
でも、このときの時刻は午前10時。
昨日の午後2時30分に大阪の梅田新道を出発したのですから、あと4時間30分あります。
東京日本橋まであと、90kmを切りました。
この距離だと、トラブルが無ければキャノボは達成することができるでしょう。
トラブルが無ければですが・・・・・
もちろん、疲労は感じていましたが、あと100kmぐらいは普通に走ることができます。
100km以上の距離は、通勤距離の範ちゅうである私にとって、100kmはそれほどの距離ではありません。
国道1号を東に向けて走っていると、ロードバイク乗りの姿がちらほら見えました。
箱根峠ヒルクライムから帰っていくヒルクライマーでしょうか?
その時点で400km以上走り続けている私が、それら神奈川サイクリストに追いつく気もありませんし、引っ張ってもらう気もありません。
ひとりマイペースで、時速30kmを維持しながら東へ向けて走っていきます。
小田原名物「ういろう」のお店を左目に見ながら、「ういろうの本場は名古屋か小田原かどっちなんや」というどうでも良い議論を脳内で戦わせていると、知らぬ間に小田原を越えていました。
国府津を越え、緩やかなアップダウンを繰り返す国道1号を走っていると、徐々にではありますが、左膝に痛みを感じてきたのです。
その時は大した痛みではなく、この程度ですこしストレッチすれば治るだろうと思っていました。
しかし、ポツリポツリと降ってくる雨が、このくらい大丈夫だと思っていると、豪雨になってどうしようもできなくなるように、大したことがなかった私の膝の痛みも無視できなくなる程度に強くなりました。
中学、高校はラグビー、そして大学時代は登山をしていた私ですが、スポーツマンには避けて通れない「故障」について、これといったものを経験したことはありません。
そんな私にとって、ちょっとした膝の痛みも精神的には堪えるのです。
↓この時点ではこうなるとはまったく予想できませんでした。
![]()
普通のロングライドなら、膝の痛みを感じても、我慢してスピードを落としてなんとかゴールすればそれで十分です。
けれど、キャノボは24時間にそうはしなければならないという歴然たる時間制限があるので、膝に痛みを感じても、我慢してある程度のスピードを維持しなければいけません。
走行中、乗車したままストレッチしたりしてこの状況から脱却しようと試みたものの、膝の痛みはまったく解消されないのです。
それどころから、ペダリングを1サイクル回すごとに右膝に痛みが走り、とうとう、巡航速度がママチャリレベルに落ちてしまいました。
このとき、私の心境は片方のエンジンにトラブルが発生し、いわゆる片肺飛行を余儀なくされている飛行機のパイロットのよう。
先を急がなければならない、けれどもスピードは出ない。
このころから、歩道上に日本橋までの距離を示すキロポストが100mごとに設置されていて、徐々に減っていくのに安堵し始めました。
とうとう巡航速度は20km/hまで落ちてしまい、残距離から逆算してとうとう24時間以内に到着する見込みは無くなったのです。
私は茅ヶ崎高校の近くにあるマンションの前で停車しました。
ロードバイクから右足を上げて降りるのも一苦労。
とりあえず、入口にロードバイクピナレロクアトロを立てかけ、ボトルに残っているアクエリアスを飲み干しました。
まだ冷たさが残っているアクエリアスが五臓六腑に染み渡りましたが、数時間まであった気力はもうどこにいっていたのでしょうか?
とにかく、Pocket WiFiとiPod touchの電源を入れ、ツイッターで応援してくれた人に「達成する見込みはありません」とお詫びツイートを送ります。
「iPhoneがあれば、すぐにツイートできたのに・・・」と思いつつ、国道1号線を東に向けて走り出しました。
ここから先はタイムトライアルではありません。
サカタニジャージが泣くほど情けないスピードで進んでいくのですが、その姿はまるで生まれたてのバンビのよう。
その後、私は国道1号は藤沢バイパスと合流したのですが、トラックやトレーラーが行き交うこの産業道路をロードバイクでフラフラ走るのは危険があぶないことこの上ありません。
路肩も狭いので緊張を強いられるので、途中のセブンイレブンで一休み。
ここでツイッターを確認すると、「頑張って完走してください」とか「ゆっくりでも良いので最後まで頑張って」というツイートがありました。
↓ここで、初めてのキャノボは終わったのです。
![]()
実は、この時点で「24時間を切ることができなくなってしまった以上、痛いのを我慢して走り続ける意味はどこにあるのか?」と思っていました。
このまま、最寄りの駅まで行って、そこから輪行して帰ろうと思っていたのです。
つまり、このとき、「リタイヤ」することを考えていました。
しかし、このツイッターを読んだあと、どうして、リタイアすることができるでしょうか?
この瞬間、リタイアという選択肢は消えたわけですが、その一方、完走することに意味があるなんて考えることもできなかったのです。
とりあえず、走れるところまで走ろうと思い戸塚駅へ下って行くと、案の定、戸塚駅の「開かずの踏切」に捕まってしまいました。
仕方ないので、踏切回避ルートを通ったのですが、ここでもミスコース。
ルート復帰するために30段くらいの階段をロードバイクを担いで登ろうとロードバイクから降りました。
さあ、階段を登ろうとしたのですが、右足が痛くて力を入れることができず、びっこを引きながら登る始末。
こんな状態に情けなさを覚えつつ、保土ヶ谷を過ぎて横浜駅まで予想外のアップダウンに悶絶。
このころ、すでにダンシングができなくなっており、ちょっとした坂でも、インナーに入れて横浜の坂道を登り降りしていました。
横浜駅を横目に見ながら、国道1号とお別れし、国道15号、第二京阪道路で日本橋を目指します。
ここからの約30kmあまりが今回のキャノボでもっとも苦しかった区間。
これまで、赤信号で停まるのが邪魔くさかったんですが、このとき、赤信号で停まって休憩するのが安堵のひとときになっていました。
鶴見区、川崎市を過ぎ、多摩川を越えるとその先は東京都。
ロードバイクを手で押しながら最後の県境を越え、首都突入。
初めて走る東京の道は、ロードバイクではものすごく走りにくい道。
大阪の場合、自転車の横を自動車が通り過ぎる場合、相応の間隔を開けてくれるのですが、東京の場合、間隔をあまり開けてくれないんですよね。
自転車が縦横無尽に走り回る大阪のドライバーは自然と「自転車は危険なもの」という認識があり、東京はその認識が低いからでしょうか?
いずれにせよ、普段ならあまり気にならないことでも、右足が痛くてフラフラの状態では、ちょっとしたことでも非常に負担に感じるのです。
また、東京ではこんな幹線道路でも路駐は多いんですよね。
一刻も早く、この苦痛から抜け出したい私は路駐の自動車1台1台が鬱陶しくて仕方ないのです。
それにしても、東京都内に入ってから遠く、やっと品川を通過しました。
↓ちゃんとした構図で記念撮影し直す気力はなかったのです。
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日本橋、つまりキャノボのゴールまで残り10kmを切りました。
あと数十分でゴールできますが、梅田新道を出発した時、こんな情けない気持ちでゴールを迎えるなんて想像し得たでしょうか?
24時間前には、大都会の中を颯爽と駆け抜けて、日本橋の「日本国道路元標」にタッチして、清々しい気分で大阪に帰ってくると思っていました。
ところが、今はママチャリレベルのスピードで衆人環視の中、東京の都心部をフラフラ走っているのです。
品川を過ぎると、メトロポリタンムードが濃厚になり、行き交うサラリーマンの姿と、ピンクのピチピチハデハデジャージを着た私とはまさに対照的。
初めて見る銀座は、大阪にはないおしゃれなムードが充満しており、その中をロードバイクに乗って進みます。
ゴールまでは数km。
並走するベントレーにぶつからないように軽い緊張しながら銀座の繁華街を通過するのですが、キャノボ達成だったら、満ち満ちた気持ちで、銀座をロードバイクで駆け抜けていたことでしょう。
銀座をから日本橋「日本国道路元標」は目の鼻の先。
とうとう、私は「日本国道路元標」にタッチし、キャノンボールは「完走」と相成ったわけです。
ロードバイクから降りて記念撮影しましたが、このときになってやっと「完走」する意味はわかりました。
すれに東京の街は夕方になりつつあり、人の流れが忙しくなってきましたが、私は日本国道路元標を眺め無心となりました
ガーミンが突然のリセットしたので正確なタイムはわかりませんが26時間弱ぐらいだったと思います。
脚が痛くなければ・・・・と思ったんですが、痛くなることも私の実力。
こんな思いをしてここまでやってきたのに、悔しくて悔しくて仕方がありません。
もちろん、キャノンボール達成できない以上、達成感を感じることはできなかったのです。
けれども、無事ここまで着いたことの安堵感と、ここまで走ってきたという充実感はありました。
これらはお金を出しても買えるものではなく、530km走りきらないと味わえないことです。
もし、キャノンボール達成を断念したとき、横浜から帰っていたら、私には何も残らなかったでしょう。
ましてや、リベンジする気にもなれなかったと思います。
本当にツイートで応援してくれた皆さんには感謝しなければなりません。
今度は、ここに24時間以内に来てやるぞと思い、日本橋を離れ東京駅に向かいます。
出来たばかりの東京駅の写真を撮る余裕もなく、輪行袋にロードバイク入れできたばかりのレンガ造りの東京駅にそそくさと入りました。
キャノンボール「達成」なら、うなぎ弁当を買って新幹線の中でビールとともに祝杯を上げる予定でした。
けれども、「完走」どまりの私は崎陽軒のシウマイ弁当でガマン。
17時20分発新大阪行N700系のぞみ号の中で、「次回は“キャノンボール達成”してうなぎ弁当食べてやる!」と一番搾りをひとりで乾杯して、キャノボのリベンジを誓いつつ大阪に帰っていくたーちゃんなのでした。
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わざわざ、リビングに水道管と排水管を設置して、洗濯機を置こうとする間取りを提案する設計士が入れば、即刻、解任するでしょう。
ところで、ドラム型洗濯機って、使いやすいですか?
一度、電気屋さんに行って見に行ったんですが、どう考えても上部から洗濯物を取り出すオーソドックスな洗濯機のほうが使いやすいような気がするんです。
中にはスマートフォンでピッってタッチすると、最適な方法で洗濯してくれる洗濯機もあるそうです。
でも、選択する時までスマートフォンを持っているなんて・・・どれだけスマートフォンに縛られたライフスタイルを送っているのでしょうか?
だいたい、洗濯物の量に応じて、洗濯時間とか方法とか自分で考えなさい。
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というわけで、さっそく本題から入っていきます。
↓最後の県境を超えて、東京都に入りました。

箱根湯本駅を過ぎて、小田原を過ぎた時、天気は雲ひとつ無い快晴でした。
すでにガーミンは謎のリセットが2度あり、梅田新道からの経過時刻は分からなくなってしまっています。
でも、このときの時刻は午前10時。
昨日の午後2時30分に大阪の梅田新道を出発したのですから、あと4時間30分あります。
東京日本橋まであと、90kmを切りました。
この距離だと、トラブルが無ければキャノボは達成することができるでしょう。
トラブルが無ければですが・・・・・
もちろん、疲労は感じていましたが、あと100kmぐらいは普通に走ることができます。
100km以上の距離は、通勤距離の範ちゅうである私にとって、100kmはそれほどの距離ではありません。
国道1号を東に向けて走っていると、ロードバイク乗りの姿がちらほら見えました。
箱根峠ヒルクライムから帰っていくヒルクライマーでしょうか?
その時点で400km以上走り続けている私が、それら神奈川サイクリストに追いつく気もありませんし、引っ張ってもらう気もありません。
ひとりマイペースで、時速30kmを維持しながら東へ向けて走っていきます。
小田原名物「ういろう」のお店を左目に見ながら、「ういろうの本場は名古屋か小田原かどっちなんや」というどうでも良い議論を脳内で戦わせていると、知らぬ間に小田原を越えていました。
国府津を越え、緩やかなアップダウンを繰り返す国道1号を走っていると、徐々にではありますが、左膝に痛みを感じてきたのです。
その時は大した痛みではなく、この程度ですこしストレッチすれば治るだろうと思っていました。
しかし、ポツリポツリと降ってくる雨が、このくらい大丈夫だと思っていると、豪雨になってどうしようもできなくなるように、大したことがなかった私の膝の痛みも無視できなくなる程度に強くなりました。
中学、高校はラグビー、そして大学時代は登山をしていた私ですが、スポーツマンには避けて通れない「故障」について、これといったものを経験したことはありません。
そんな私にとって、ちょっとした膝の痛みも精神的には堪えるのです。
↓この時点ではこうなるとはまったく予想できませんでした。

普通のロングライドなら、膝の痛みを感じても、我慢してスピードを落としてなんとかゴールすればそれで十分です。
けれど、キャノボは24時間にそうはしなければならないという歴然たる時間制限があるので、膝に痛みを感じても、我慢してある程度のスピードを維持しなければいけません。
走行中、乗車したままストレッチしたりしてこの状況から脱却しようと試みたものの、膝の痛みはまったく解消されないのです。
それどころから、ペダリングを1サイクル回すごとに右膝に痛みが走り、とうとう、巡航速度がママチャリレベルに落ちてしまいました。
このとき、私の心境は片方のエンジンにトラブルが発生し、いわゆる片肺飛行を余儀なくされている飛行機のパイロットのよう。
先を急がなければならない、けれどもスピードは出ない。
このころから、歩道上に日本橋までの距離を示すキロポストが100mごとに設置されていて、徐々に減っていくのに安堵し始めました。
とうとう巡航速度は20km/hまで落ちてしまい、残距離から逆算してとうとう24時間以内に到着する見込みは無くなったのです。
私は茅ヶ崎高校の近くにあるマンションの前で停車しました。
ロードバイクから右足を上げて降りるのも一苦労。
とりあえず、入口にロードバイクピナレロクアトロを立てかけ、ボトルに残っているアクエリアスを飲み干しました。
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サカタニジャージが泣くほど情けないスピードで進んでいくのですが、その姿はまるで生まれたてのバンビのよう。
その後、私は国道1号は藤沢バイパスと合流したのですが、トラックやトレーラーが行き交うこの産業道路をロードバイクでフラフラ走るのは危険があぶないことこの上ありません。
路肩も狭いので緊張を強いられるので、途中のセブンイレブンで一休み。
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↓ここで、初めてのキャノボは終わったのです。

実は、この時点で「24時間を切ることができなくなってしまった以上、痛いのを我慢して走り続ける意味はどこにあるのか?」と思っていました。
このまま、最寄りの駅まで行って、そこから輪行して帰ろうと思っていたのです。
つまり、このとき、「リタイヤ」することを考えていました。
しかし、このツイッターを読んだあと、どうして、リタイアすることができるでしょうか?
この瞬間、リタイアという選択肢は消えたわけですが、その一方、完走することに意味があるなんて考えることもできなかったのです。
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仕方ないので、踏切回避ルートを通ったのですが、ここでもミスコース。
ルート復帰するために30段くらいの階段をロードバイクを担いで登ろうとロードバイクから降りました。
さあ、階段を登ろうとしたのですが、右足が痛くて力を入れることができず、びっこを引きながら登る始末。
こんな状態に情けなさを覚えつつ、保土ヶ谷を過ぎて横浜駅まで予想外のアップダウンに悶絶。
このころ、すでにダンシングができなくなっており、ちょっとした坂でも、インナーに入れて横浜の坂道を登り降りしていました。
横浜駅を横目に見ながら、国道1号とお別れし、国道15号、第二京阪道路で日本橋を目指します。
ここからの約30kmあまりが今回のキャノボでもっとも苦しかった区間。
これまで、赤信号で停まるのが邪魔くさかったんですが、このとき、赤信号で停まって休憩するのが安堵のひとときになっていました。
鶴見区、川崎市を過ぎ、多摩川を越えるとその先は東京都。
ロードバイクを手で押しながら最後の県境を越え、首都突入。
初めて走る東京の道は、ロードバイクではものすごく走りにくい道。
大阪の場合、自転車の横を自動車が通り過ぎる場合、相応の間隔を開けてくれるのですが、東京の場合、間隔をあまり開けてくれないんですよね。
自転車が縦横無尽に走り回る大阪のドライバーは自然と「自転車は危険なもの」という認識があり、東京はその認識が低いからでしょうか?
いずれにせよ、普段ならあまり気にならないことでも、右足が痛くてフラフラの状態では、ちょっとしたことでも非常に負担に感じるのです。
また、東京ではこんな幹線道路でも路駐は多いんですよね。
一刻も早く、この苦痛から抜け出したい私は路駐の自動車1台1台が鬱陶しくて仕方ないのです。
それにしても、東京都内に入ってから遠く、やっと品川を通過しました。
↓ちゃんとした構図で記念撮影し直す気力はなかったのです。

日本橋、つまりキャノボのゴールまで残り10kmを切りました。
あと数十分でゴールできますが、梅田新道を出発した時、こんな情けない気持ちでゴールを迎えるなんて想像し得たでしょうか?
24時間前には、大都会の中を颯爽と駆け抜けて、日本橋の「日本国道路元標」にタッチして、清々しい気分で大阪に帰ってくると思っていました。
ところが、今はママチャリレベルのスピードで衆人環視の中、東京の都心部をフラフラ走っているのです。
品川を過ぎると、メトロポリタンムードが濃厚になり、行き交うサラリーマンの姿と、ピンクのピチピチハデハデジャージを着た私とはまさに対照的。
初めて見る銀座は、大阪にはないおしゃれなムードが充満しており、その中をロードバイクに乗って進みます。
ゴールまでは数km。
並走するベントレーにぶつからないように軽い緊張しながら銀座の繁華街を通過するのですが、キャノボ達成だったら、満ち満ちた気持ちで、銀座をロードバイクで駆け抜けていたことでしょう。
銀座をから日本橋「日本国道路元標」は目の鼻の先。
とうとう、私は「日本国道路元標」にタッチし、キャノンボールは「完走」と相成ったわけです。
ロードバイクから降りて記念撮影しましたが、このときになってやっと「完走」する意味はわかりました。
すれに東京の街は夕方になりつつあり、人の流れが忙しくなってきましたが、私は日本国道路元標を眺め無心となりました
ガーミンが突然のリセットしたので正確なタイムはわかりませんが26時間弱ぐらいだったと思います。
脚が痛くなければ・・・・と思ったんですが、痛くなることも私の実力。
こんな思いをしてここまでやってきたのに、悔しくて悔しくて仕方がありません。
もちろん、キャノンボール達成できない以上、達成感を感じることはできなかったのです。
けれども、無事ここまで着いたことの安堵感と、ここまで走ってきたという充実感はありました。
これらはお金を出しても買えるものではなく、530km走りきらないと味わえないことです。
もし、キャノンボール達成を断念したとき、横浜から帰っていたら、私には何も残らなかったでしょう。
ましてや、リベンジする気にもなれなかったと思います。
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キャノンボール「達成」なら、うなぎ弁当を買って新幹線の中でビールとともに祝杯を上げる予定でした。
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