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ロードバイクで死ぬとき

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 昨日のように、物議を醸し出しそうな冒頭文を書いた場合、辛辣なコメントが送られてくるのを楽しみにしていたのですが、予想に反して、そのようなコメントが1通も送られてこなかったことが、ちょっぴり寂しいたーちゃんです。おはようございます。

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 あっ、一つだけ「ば〜か」というコメントがありました。(削除済み)
 昭和の小学生が多用していたであろう侮蔑ワードを、37歳にして始めて浴びせかけられるとは思いもしませんでした。
 思わず、ノスタルジックな感慨にふけてしまったのであります。
 冒頭文で辛辣なコメントが来ないので寂しいと言いましたが、私は決してMではありません。
 Mと言えば、SMクラブ。
 SMクラブでは、M系の男性が“女王様”にムチで叩かれたり、縄で亀甲縛りなど芸術的な呪縛プレイで快感を感じることができるとS主任から聞きました。
 S主任によると、SMプレイの中には“言葉責め”というのがあるとのこと。
 いくら坂が好きなM系の私でも、女王様にムチでしばかれたり、悪口を浴びせかけられるのに“対価”を支払う人の気持ちが理解できませんが、人の価値観は多様であってしかるべき。
 特定の価値観が尊重される社会では、大多数の人は幸福になれないのです。
 さて、SMクラブに生まれて初めて連れて行かれた人の話によると・・・・・
 彼は、その先にある“快楽”のお楽しみを味わうために、ムチでしばかれる苦痛に耐え、悪口を浴びせかけられる恥辱に耐えました。
 そして、あまたの苦痛を耐え抜いた挙句、女王様からようやく賜ったお言葉とは・・・・
 「はい、お疲れ様でした」
との一言。
 その後、退出を求められた瞬間、彼が感じたであろう喪失感は想像に難くありません。
 というわけで、今回も物議を醸し出しそうなお話をして行きたいと思います。

 今年最大級の台風6号が四国に上陸して、本州の太平洋側はうねりを伴うものすごい大波が押し寄せてきていました。
 テレビでも、海岸の岩肌に大波が叩きつけている様子が映し出されていたのですが、こんな状態であるのにもかかわらず・・・


↓台風が通過してもすっきりしないお天気が続く





 高校生が岩から飛び込んで遊んでいて、沖へ流されて行方不明になっているという事故が起きました。
 不慮の事故ならともかく、あれほど海が荒れ、大波が叩きつけている中、海へ飛び込んで遊ぶなんて軽率極まりありません。
 このニュースを職場のテレビで見ていると、まわりからは・・・・
 「こんなときに、海で飛び込み遊びするなんてアホやなぁ〜」
 「こいつを捜索するために飛ばすヘリや船の費用・・・ホンマ税金の無駄遣いや!」
と呆れた様子の声が聞こえてきたのです。
 まあ、それも当然といえば当然でしょう。
 高校生にもなれば、物事の分別もある程度あるのですから、あの大波の中飛び込み遊びをすれば、どうなるのかは分かるはず。
 もちろん、私もこの高校生に対しては「アホやなぁ〜」としか思えません。
 しかし、ちょっとここで視点を変えてみましょう。
 もし、この高校生が大波の中を飛び込もうとした動機が、遊びではなく純粋な“冒険心”だったら、どうなんでしょうか?
 それでも、非難することができるのでしょうか?
 もちろん、厳冬期のヒマラヤ登山やヨットで太平洋単独横断にせよ、世間から「冒険」と言われる挑戦をするにはそれ相応の準備と計画が必要です。
 入念な計画と準備をせずして、困難に挑むのは“無謀”に他なりません。
 おなじ冒険でも、マッキンリー世界初の厳冬期単独登頂を果たした後、消息を絶ち遭難死した植村直己と、台風の大波に身を投じ、行方不明となった高校生・・・
 同じ自然の中で命を絶ってしまったのですが、植村直己が賞賛される一方、大波に飛び込んで死んでしまった高校生が非難されます。
 その違いは一目瞭然ですが、もっとも顕著なのはその冒険が無謀であるかどうかなんですよね。
 ありとあらゆる事態を想定して入念な準備で臨み、全力を尽くした結果、遭難して死んでしまった冒険家に対し、批判することができる資格なんて誰にもありません。
 一方、その高校生が批判されるのは、その行為が無謀と、第三者には映ってしまうからです。
 

↓R500での最後のロングライド。





 ただ、もし、その高校生にとって、精一杯の用意周到な準備をして、本人なりに入念な計画を立てて飛び込んだ結果、残念ながら失敗したと仮定してみましょう。
 その場合でも、「アホやなぁ〜」とか「税金の無駄遣い」やと批判されるのでしょうか?
 わたし的な意見を申し上ると・・・・
 確かに結果としてその高校生の行為は残念なコトになってしまった以上、その点の批判は免れません。
 けれども、彼にとって、できる限りの用意周到な準備と覚悟を持ちつつ、飛び込んだ動機が“冒険心”だったら、その高校生を批判したくないのです。
 というのも、もともとわが国は大きなムラ社会であり、事なかれ主義が美徳である側面がありました。
 そのような風土の中、“冒険”するということに対しては、あまりにも冷たく応じてきています。
 よく雪山登山で遭難した登山家に対し、救援するために飛ばしている警察や自衛隊のヘリコプターに対し「税金の無駄遣いや!」と批判する人がいます。
 個人の“レジャー”である雪山登山で遭難した結果、税金を使って救助することが税金の無駄遣いであるという考え方があります。
 けれど、そのような人たちは、自分たちがプライベートでドライブして交通事故に遭い、その結果、大怪我をした場合に救急車を呼ぶことも税金の無駄遣いと言えるのでしょうか?
 とにかく、わが国の風土は“冒険”することに対して、残念ながら寛容ではありません。
 しかし、若者が冒険することを許さない社会に、未来はあるのでしょうか?
 それにしても、わが国は冒険者にあまりにも冷たすぎます。
 それは、同じ遭難するにしても、海の遭難と山の遭難の取り上げられ方の違いで分かります。
 漁師さんや船舶関係者による、海の遭難事故はあまりニュースや新聞で取り上げられることはありません。
 これに対し、山の遭難は必要以上に大きく取りあげられることで分かります。
 海の遭難の多くが日常的な業務上の出来事であるので、どちらかといえば同情的である一方、山の遭難は単なる遊びという“非日常”的なことであるがゆえに、先ほどの“税金の無駄遣い”という感じで批判されがちです。
 
 このように、わが国の場合、冒険の結果、失敗してしまうと「それ見たことか!」かなりの社会的な制裁をうけることになります。
 さて、ここでようやく自転車ブログらしく、自転車の話題へと移行していくわけですが・・・


↓この山の向こう側にわが家がある。





 多くのロードバイク乗りのみなさんにとって、ロードバイクに乗る目的は程度の差こそあれ“冒険”でしょう。
 ロードバイクででヒルクライムしたり、ロングライドしたりするときも、もっと早く登りたい、もっと早くロングライドしたい・・・
 それまでの自分の枠を超えた“向こう側”へ行こうとする要求を冒険心と言うのです。
 それは登山家が、少しでも高い山に登りたい、少しでも困難なルートや条件で登頂したいという気持ちと共通するものがあります。
 
 ロードバイク乗りにとっての冒険・・・・
 たとえば、公道をスピードを出して走行したり、ひたすらヒルクライムコースを登る行為は、非ロードバイク乗りから見れば、前述の高校生と同じように理解し難いものです。
 登山家以外の人が、雪山で吹雪に耐えながら、ひたすら登り続けている様子を見て「何が楽しいんや?」と疑問に思うように・・・
 また、非ロードバイク乗りの人から見れば、通勤・通学、そして主婦の買い物の“アシ”であるママチャリは日常的な乗り物ですが、ピチピチハデハデジャージを身にまとい颯爽と駆けていくロードバイクは、どう見ても「非日常」な乗り物でしょう。
 となると、同じ自転車事故に遭った場合、どちらが社会的な非難を受ける程度が高いのかは一目瞭然です。
 自転車事故は日常茶飯事的に発生しているのは社会問題になって久しいですが、個々の事故に関しては、結果が重大であっても取り上げられることはありません。
 これらの事故のほとんどがママチャリやシティサイクルと言った日常生活上の事故であるので、前述の「海の遭難&山の遭難」と同じ理由で取り上げられないのです。
 けれど、これが非日常的な乗り物であるロードバイクだったらどうでしょうか?
 「ママチャリに乗った主婦と、高齢者との交通事故で、高齢者が死亡した」と「公道を猛烈なスピードで走行していたロードバイクと、歩行中の高齢者の死亡事故」という見出しなら、どちらがインパクトが強いでしょうか?
 少なくとも、結果が同じであってもより注目され、より批判される可能性が高いのはロードバイクであることは言うまでもありません。
 

↓ヒルクライム練習自転車通勤時の通勤路。ほとんど自動車は走っていない。





 さて、ロードバイクに乗る以上、“死”のリスクは常に存在します。
 ときどき、そのリスクを忘れたかのような乗り方をされる方が散見されますが、今一度、死のリスクを考えていただきたいのです。
 こないだのヒルクライム大台ケ原ではガードレールにぶつかったあと、ガードレールを乗り越えた向こう側へ体が投げ出されていた参加者がいました。
 彼の場合、幸い事なきを得ましたが、それは運がよかったからです。
 もし、ガードレールの向こう側が深い谷になっていたり、断崖絶壁になっていたら、彼は死んでいたでしょう。
 みなさんも、ヒルクライムやロングライドでワインディングの下り坂を、高速で駆け下りていくという経験はおありだと思います。
 もし、路面に砂が浮いていてスリップしたら・・・
 もし、タイヤがバーストしてコントロールを失ったら・・・
 その結果、ガードレールにぶつかってしまって、体が投げ出され、10m下の岩だらけの渓谷へ落下してしまったとなると、“死”は免れません。
 われわれサイクリストは、この場合の“死”は、あくまでロードバイクに乗っていて発生した、不幸な不慮の事故であり、同情こそすれ、非難はできないと捉えます。
 もちろん、私もその一人ですが、大多数を占める非ロードバイク乗りから見ればどう捉えられるのでしょうか?
 自転車を取りまく環境や、わが国の冒険に対する考え方からすると、「気の毒に・・・」という同情を寄せつつも、「あんなスピードが出る競輪選手みたいな自転車に乗っているから、事故起こすんや!自業自得や!」と批判する人のほうが多いのではないでしょうか?
 つまり、ロードバイクに乗って死ぬことと、前述の高校生が海に飛び込んで死ぬことと同じレベルで捉えられてしまうのです。
 ロードバイク乗りのみなさんは、「同じはずはない」「レベルが違う」と思われるかもしれませんが、非日常的な行為の結果の事故に対しては、世間は冷たいことを忘れてはなりません。
 その結果、「ロードバイクは危険である」「公道から追い出せ」という論調へと広がっていくのです。

 さっきまで一緒に走っていたロードバイク仲間が、次の瞬間、ガードレールの先に投げ出されて死んでしまうかもしれません。
 さっきまでツイッターでやり取りしていたヒルクライム仲間が、数分後、落車事故で死んでしまうかもしれません。
 ロードバイクに乗る限りいつでも死の危険があるのですが、現状では同情してくれるのは自転車仲間だけで、世間からは冷たくあしらわれてしまう。
 こんな現状では、死んでも死に切れない・・・・と思うのは私だけでしょうか?

 せめて、このブログを読んでいる目の前のあなたが、ロードバイクに乗って事故に遭い、死んでしまった・・・・
 このような状況で、それだけは絶対に避けていただきたいと願いつつ、今回の記事を書いた次第です。


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