サイクリスト・ツイッターの間で話題騒然の中華まんである、真っ青なカラーリングも毒々しい“スライム肉まん”。
それを求めてファミリーマートをさまよい求めた結果、ようやく捕獲し、買い占めることができた3匹のスライム肉まん・・・・
それらを嫁さんと娘に食べさせようとしたものの、「気色悪い」と言って食べてもらえず、結局3匹とも私の胃袋の中におさめてしまいスライムキング化してしまった、たーちゃんです。おはようございます。
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スライム肉まん・・・そう、あのドラゴンクエストで一番初めに登場するモンスターのあれですよ!お兄さん。
真っ青なボディーの可愛らしいモンスターが肉まんになりました。
↓スライム肉まん
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12月29日にファミリーマートで100匹限定で発売されたのですが、あまりの人気に売り切れ続発。
休憩時間、近くのファミマに捕獲しに行ったのですが、すでに売り切れていました。
一度欲しくなると、それを手にしなければ我慢できない困った性格の私は、それから周囲のファミマを捜索開始。
オーソドックスなノーマルスライムでありながら、そのプレミアムさはメタルキングと同等。
近くに中学校や高校があるファミマでは、若い女の子が「可愛い〜」と言って買ってしまうのでしょう。
私が捕獲することができたファミマは幹線道路沿いにあり、若い子があまり立ち寄らない店舗だったのでしたが、3匹のスライム肉まんを発見した際、ついうれしさのあまりすべて買い占めてしまいました。
もちろん、3匹のスライムをやっつけたところで、私のレベルはあがりませんが、こうしてブログ冒頭文のネタができただけでも幸いでございます。
なお、このスライム肉まん・・・・・その生地は毒々しいほどブルーですが、もちろん、ブルーハワイ味ではなく無味無臭。
しかも中国で製造されているので、ちょっぴり不安が残る今日この頃、みなさまは如何お過ごしでしょうか?(ニュースソース)
さて、スライム肉まんの話はこのくらいにして、早速本題に入ってまいります。
↓丹後半島先端は天気晴朗なれど波高しであった。
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近畿地方最北端、丹後半島の先端に位置する“経ヶ岬”
映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった経ヶ岬灯台までは駐車場から歩いて10分くらい。
たいていの岬がそうであるように、トイレと閉店して久しい売店以外になにもないこの岬は、実に殺風景なものでした。
ドライブやオートバイのツーリングでこの岬を訪れたとすれば「なんやこれ」って感じで“ガッカリ名所”にノミネートされそうなこの岬。
ロードバイクで200km以上走り続けてようやくたどり着いた私にとっては、どんな観光名所よりも印象深く残ります。
さて、ロードバイクピナレロクアトロ疾風号を、地球ロックして経ヶ岬灯台まで歩いていきましょう。
SPD−SLシューズで山道を歩くこと10分。
ようやく経ヶ岬灯台の白亜の姿がたどり着くと、岸壁に当たっては砕ける波に音が心地よく聞こえます。
野生のサルたちが我が物顔に走り回っていて落ち着きませんでしたが、こうして目的地にたどり着くと、日本海のはるかな海原が私の疲れを癒してくれます。
1時間くらい、ここでぼーっとしたかったのですが、晩秋の午後はあっというまに夕方になり、そして闇に包まれてしまいます。
男性2名のオートバイ乗り同士の会話を聞いていると「運が良かったら、日の高いうちに大阪まで着くやろ」と言っていましたが、同じバイクでもエンジンが人力である私は、運が良かったら今日中に自宅にたどり着くことができるかもしれません。
というわけで、名残惜しくも経ヶ岬を後にし、自宅に向けて出発しました。
丹後半島を周回する国道は、経ヶ岬からしばらく激しいアップダウンを繰り返します。
普段なら大したことが無いアップダウンも、200km以上走ったあとではやはり堪えるもの。
どんどん巡航速度が落ちて行くので、仕方ありません、休憩しましょう。
自宅から持ってきたアミノバイタルをポカリスエットで流し込み腰を下ろします。
まだ、午後3時前だというのに、丹後半島はまるで夕暮れが早くやってくるのか、木々の陰が異様に長く伸び、寂寥感が漂います。
目の前を走り去っていくオードバイを眺めながら、「あのスピードで走れたら、自宅で夕食を食べることができるのに・・・」とつい考えてしまいました。
↓経ヶ岬を超えると、爽快なルートであった。
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本当は海岸線沿いの旧道を走って、NHKの朝の連続テレビ小説「ええにょぼ」の舞台となった伊根町の“伊根の舟屋”集落を訪れようと思ったものの、今回の旅は先を急ぐ旅。
少々味気ありませんが、新しい国道を走ることにしました。
やがて、国道は再び海岸に出ると、すでに空は日がかげ始めてきています。
なるべく、日の高いうちに行程を消化したかったのですが、あせっても仕方が無いこと。
ピナレロクアトロを停めて休憩しながら、静かな丹後の海原を眺めていると、道路工事のおじさんが「どこから来たん?」と聞いてきました。
「大阪からですわ」という答えに、そのおじさんは「えっ!」とにわかに信じることができないような表情を示していましたが、事実ですから仕方がありません。
まあ、一般常識を持ち合わせている人からすれば、そう思われても仕方がないことですよね。
その後、日本三景の一つ「天橋立」の横を通り過ぎたのですが、もちろん見物する時間的・精神的余裕なんてありません。
観光地ですから、手をつなぎながら幸せそうに歩いているカップルもいました。
そんなカップルを見るにつけ、「あんたらは今晩、布団の中で楽しいことしている間、俺は自転車で夜道を走らなければあかんのや」と思うと、何故か劣等感を感じて止みません。
天橋立を横目に見ながら、国道を走り、宮津市に到着したころは自動車のライトが点灯している時間になってしまいました。
ここから来た道を戻れば、たしかに最短距離で戻ることができるでしょう。
しかし、私のロングライドスタイルは、なるべく“1周”すること。
そんなマイルールに従うためには、若干、遠回りになったとしても、走ってきた道をもう一度走るわけにはいきません。
というわけで来た道に戻らず、国道27号→国道9号という京都府を南北に縦断するコースをセレクト。
宮津市から“岸壁の母”の舞台となり、軍港の町である京都府舞鶴市に到着したころは、もう完全に日は沈み、家々からは団欒の灯りがこぼれています。
そんな幸せそうな風景を横目に、道路照明がまったく無く、後方から走ってくる自動車のヘッドライトを頼りに国道27号線を南に向けて走っていると・・・第一トラブル発生。
↓もう、丹後の海は日がかげ始めた。
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第一トラブルとは、スタートしてから走行距離と時間を記録してきたガーミンエッジ500がリセットされてしまったことです。
特製USBケーブルで給電しながら走っていると、突然、電源が落ちてしまって走行距離が“0km”に!
その原因は不明ですが、給電しながら走ることに問題があったようです。
休憩中に充電し、走行中はUSBケーブルを外しておいたほうが良いのかもしれませんね。
さて、第一トラブルがあれば当然第二トラブルもあります。
舞鶴市の市街地を抜け、人家がまばらになり真っ暗な国道27号を走っていると、当然、左ひざの外側に痛みを感じ始めました。
高校時代はラグビーを、大学時代は登山経験がある私も、練習を手抜きしていたためか、幸い体の故障をした経験はありません。
それだけに、ちょっとした痛みでもメンタル面では堪えるもの。
しかも、痛みを感じ始めた地点からゴールである自宅まではまだ130kmほど走らなくてはならないのです。
始めは、“辛抱”してペダルを回していましたが、やがて耐え難い痛みへと変わってきました。
あまりの痛さに、力を入れてSPD−SLペダルにクリートをキャッチさせることも一苦労。
普段なら、30kmで巡航することができる道も、25km前後でしか走ることができません。
ちょっとした坂道になると、もう左足が痛くて、ギアをインナーローにしなくては走れないときもありました。
やがて、あまりの痛さにクリートをキャッチさせることもできなくなり、仕方なく左足はペダルの上に乗せているだけで、ペダルを踏むのは右足だけの状態になってしまったのです。
しかも、私がセレクトした国道27号沿いは人家がまばらであり、街灯もない国道は漆黒の闇。
さらに交通量が少ない国道は、その寂寥感たるや例えようがありません。
ときおり、大型トラックが背後から、ちんたら走る私を追い越していきます。
もしこんなトラックにひき逃げされてしまうと、翌朝明るくなってから冷たくなってしまった姿で発見されるのでしょうか・・・
そんな人生の終焉を遂げたくはありません。
↓バス停で一休み。
![]()
しかも、このときの気温は2℃。
脚を回すことができないので体温を上げることもできず、心底冷え切ってしまい、自然と起きる体の震えを押さえることはできません。
また、左ひざの痛みも耐え切れなくなり、とうとうロードバイクから降りてしまいました。
体力はあるのに、左ひざの痛さで走れないのは悔しくて仕方がありません。
何を考えたのか、しばらくピナレロクアトロを押して数十メーターを手で押して歩いていると、コイン精米機の建物が見えました。
その明かりが引き寄せられるかのように、あまりの寒さに耐え切れず、ドアを開け中に入ったのです。
久しぶりの蛍光灯の明るさに心が癒さされたものの、暖房もなにも入っていないコイン精米機の室内が暖かいわけはありません。
そんなことは分かりきっているのに、つい中に入ってしまうのはやはり精神的に疲れてきているからでしょうか?
ただ、コイン精米機の建物の中にヘルメットを被ったオッサンがいる姿を、パトロール中の警察官に見つかれば不審者として職務質問されてしまいます。
私はジェントス閃の電池交換だけ済ませて、早々に外に出て再び、左足の痛みに耐えつつ、ペダルを回して行程を消化しました。
国道27号は京丹波市で国道9号に合流するのですが、その合流地点にあるコンビニを見つけたときの安堵感は良いようがありません。
そこで食べたどん兵衛きつねうどんの美味しさたるや、冷え切った身体の五臓六腑に染み渡ります。
食料で身体を暖めることができ、気力を回復させることができた私は、途中、コンビニで入って冷えた体を暖めと左ひざの痛みをごまかしながら、国道9号を南に向けて走っていきました。
やがて、本能寺の変で、明智光秀が織田信長を討ち取るときに通過した老ノ坂峠を越えると、とうとう京都市西京区に入りました。
実は、京都市西京区には私の実家があり、計画ルートでは実家の目と鼻の先を通ることになります。
ここから自宅がある大阪府富田林市まではあと60kmほどの行程を、左足の痛みに耐え、寒さに震えながら深夜走行しなくてはなりません。
このとき、私の心の中では・・・
選択肢1「もう、十分走ったではないか。京都の実家でゴールにしよう」
選択肢2「実家で痛み止めの薬を飲んで、再び出発しよう」
選択肢3「実家に立ち寄ってしまったら、自力で走破したことにならないので、そのまま立ち寄ることなく通過しよう」
・・・・そんな葛藤を感じながら、左に曲がれば京都市にある実家、右に曲がれば大阪府にある自宅への交差点に差し掛かりました。
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休憩時間、近くのファミマに捕獲しに行ったのですが、すでに売り切れていました。
一度欲しくなると、それを手にしなければ我慢できない困った性格の私は、それから周囲のファミマを捜索開始。
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近くに中学校や高校があるファミマでは、若い女の子が「可愛い〜」と言って買ってしまうのでしょう。
私が捕獲することができたファミマは幹線道路沿いにあり、若い子があまり立ち寄らない店舗だったのでしたが、3匹のスライム肉まんを発見した際、ついうれしさのあまりすべて買い占めてしまいました。
もちろん、3匹のスライムをやっつけたところで、私のレベルはあがりませんが、こうしてブログ冒頭文のネタができただけでも幸いでございます。
なお、このスライム肉まん・・・・・その生地は毒々しいほどブルーですが、もちろん、ブルーハワイ味ではなく無味無臭。
しかも中国で製造されているので、ちょっぴり不安が残る今日この頃、みなさまは如何お過ごしでしょうか?(ニュースソース)
さて、スライム肉まんの話はこのくらいにして、早速本題に入ってまいります。
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近畿地方最北端、丹後半島の先端に位置する“経ヶ岬”
映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった経ヶ岬灯台までは駐車場から歩いて10分くらい。
たいていの岬がそうであるように、トイレと閉店して久しい売店以外になにもないこの岬は、実に殺風景なものでした。
ドライブやオートバイのツーリングでこの岬を訪れたとすれば「なんやこれ」って感じで“ガッカリ名所”にノミネートされそうなこの岬。
ロードバイクで200km以上走り続けてようやくたどり着いた私にとっては、どんな観光名所よりも印象深く残ります。
さて、ロードバイクピナレロクアトロ疾風号を、地球ロックして経ヶ岬灯台まで歩いていきましょう。
SPD−SLシューズで山道を歩くこと10分。
ようやく経ヶ岬灯台の白亜の姿がたどり着くと、岸壁に当たっては砕ける波に音が心地よく聞こえます。
野生のサルたちが我が物顔に走り回っていて落ち着きませんでしたが、こうして目的地にたどり着くと、日本海のはるかな海原が私の疲れを癒してくれます。
1時間くらい、ここでぼーっとしたかったのですが、晩秋の午後はあっというまに夕方になり、そして闇に包まれてしまいます。
男性2名のオートバイ乗り同士の会話を聞いていると「運が良かったら、日の高いうちに大阪まで着くやろ」と言っていましたが、同じバイクでもエンジンが人力である私は、運が良かったら今日中に自宅にたどり着くことができるかもしれません。
というわけで、名残惜しくも経ヶ岬を後にし、自宅に向けて出発しました。
丹後半島を周回する国道は、経ヶ岬からしばらく激しいアップダウンを繰り返します。
普段なら大したことが無いアップダウンも、200km以上走ったあとではやはり堪えるもの。
どんどん巡航速度が落ちて行くので、仕方ありません、休憩しましょう。
自宅から持ってきたアミノバイタルをポカリスエットで流し込み腰を下ろします。
まだ、午後3時前だというのに、丹後半島はまるで夕暮れが早くやってくるのか、木々の陰が異様に長く伸び、寂寥感が漂います。
目の前を走り去っていくオードバイを眺めながら、「あのスピードで走れたら、自宅で夕食を食べることができるのに・・・」とつい考えてしまいました。
↓経ヶ岬を超えると、爽快なルートであった。

本当は海岸線沿いの旧道を走って、NHKの朝の連続テレビ小説「ええにょぼ」の舞台となった伊根町の“伊根の舟屋”集落を訪れようと思ったものの、今回の旅は先を急ぐ旅。
少々味気ありませんが、新しい国道を走ることにしました。
やがて、国道は再び海岸に出ると、すでに空は日がかげ始めてきています。
なるべく、日の高いうちに行程を消化したかったのですが、あせっても仕方が無いこと。
ピナレロクアトロを停めて休憩しながら、静かな丹後の海原を眺めていると、道路工事のおじさんが「どこから来たん?」と聞いてきました。
「大阪からですわ」という答えに、そのおじさんは「えっ!」とにわかに信じることができないような表情を示していましたが、事実ですから仕方がありません。
まあ、一般常識を持ち合わせている人からすれば、そう思われても仕方がないことですよね。
その後、日本三景の一つ「天橋立」の横を通り過ぎたのですが、もちろん見物する時間的・精神的余裕なんてありません。
観光地ですから、手をつなぎながら幸せそうに歩いているカップルもいました。
そんなカップルを見るにつけ、「あんたらは今晩、布団の中で楽しいことしている間、俺は自転車で夜道を走らなければあかんのや」と思うと、何故か劣等感を感じて止みません。
天橋立を横目に見ながら、国道を走り、宮津市に到着したころは自動車のライトが点灯している時間になってしまいました。
ここから来た道を戻れば、たしかに最短距離で戻ることができるでしょう。
しかし、私のロングライドスタイルは、なるべく“1周”すること。
そんなマイルールに従うためには、若干、遠回りになったとしても、走ってきた道をもう一度走るわけにはいきません。
というわけで来た道に戻らず、国道27号→国道9号という京都府を南北に縦断するコースをセレクト。
宮津市から“岸壁の母”の舞台となり、軍港の町である京都府舞鶴市に到着したころは、もう完全に日は沈み、家々からは団欒の灯りがこぼれています。
そんな幸せそうな風景を横目に、道路照明がまったく無く、後方から走ってくる自動車のヘッドライトを頼りに国道27号線を南に向けて走っていると・・・第一トラブル発生。
↓もう、丹後の海は日がかげ始めた。

第一トラブルとは、スタートしてから走行距離と時間を記録してきたガーミンエッジ500がリセットされてしまったことです。
特製USBケーブルで給電しながら走っていると、突然、電源が落ちてしまって走行距離が“0km”に!
その原因は不明ですが、給電しながら走ることに問題があったようです。
休憩中に充電し、走行中はUSBケーブルを外しておいたほうが良いのかもしれませんね。
さて、第一トラブルがあれば当然第二トラブルもあります。
舞鶴市の市街地を抜け、人家がまばらになり真っ暗な国道27号を走っていると、当然、左ひざの外側に痛みを感じ始めました。
高校時代はラグビーを、大学時代は登山経験がある私も、練習を手抜きしていたためか、幸い体の故障をした経験はありません。
それだけに、ちょっとした痛みでもメンタル面では堪えるもの。
しかも、痛みを感じ始めた地点からゴールである自宅まではまだ130kmほど走らなくてはならないのです。
始めは、“辛抱”してペダルを回していましたが、やがて耐え難い痛みへと変わってきました。
あまりの痛さに、力を入れてSPD−SLペダルにクリートをキャッチさせることも一苦労。
普段なら、30kmで巡航することができる道も、25km前後でしか走ることができません。
ちょっとした坂道になると、もう左足が痛くて、ギアをインナーローにしなくては走れないときもありました。
やがて、あまりの痛さにクリートをキャッチさせることもできなくなり、仕方なく左足はペダルの上に乗せているだけで、ペダルを踏むのは右足だけの状態になってしまったのです。
しかも、私がセレクトした国道27号沿いは人家がまばらであり、街灯もない国道は漆黒の闇。
さらに交通量が少ない国道は、その寂寥感たるや例えようがありません。
ときおり、大型トラックが背後から、ちんたら走る私を追い越していきます。
もしこんなトラックにひき逃げされてしまうと、翌朝明るくなってから冷たくなってしまった姿で発見されるのでしょうか・・・
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脚を回すことができないので体温を上げることもできず、心底冷え切ってしまい、自然と起きる体の震えを押さえることはできません。
また、左ひざの痛みも耐え切れなくなり、とうとうロードバイクから降りてしまいました。
体力はあるのに、左ひざの痛さで走れないのは悔しくて仕方がありません。
何を考えたのか、しばらくピナレロクアトロを押して数十メーターを手で押して歩いていると、コイン精米機の建物が見えました。
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そんなことは分かりきっているのに、つい中に入ってしまうのはやはり精神的に疲れてきているからでしょうか?
ただ、コイン精米機の建物の中にヘルメットを被ったオッサンがいる姿を、パトロール中の警察官に見つかれば不審者として職務質問されてしまいます。
私はジェントス閃の電池交換だけ済ませて、早々に外に出て再び、左足の痛みに耐えつつ、ペダルを回して行程を消化しました。
国道27号は京丹波市で国道9号に合流するのですが、その合流地点にあるコンビニを見つけたときの安堵感は良いようがありません。
そこで食べたどん兵衛きつねうどんの美味しさたるや、冷え切った身体の五臓六腑に染み渡ります。
食料で身体を暖めることができ、気力を回復させることができた私は、途中、コンビニで入って冷えた体を暖めと左ひざの痛みをごまかしながら、国道9号を南に向けて走っていきました。
やがて、本能寺の変で、明智光秀が織田信長を討ち取るときに通過した老ノ坂峠を越えると、とうとう京都市西京区に入りました。
実は、京都市西京区には私の実家があり、計画ルートでは実家の目と鼻の先を通ることになります。
ここから自宅がある大阪府富田林市まではあと60kmほどの行程を、左足の痛みに耐え、寒さに震えながら深夜走行しなくてはなりません。
このとき、私の心の中では・・・
選択肢1「もう、十分走ったではないか。京都の実家でゴールにしよう」
選択肢2「実家で痛み止めの薬を飲んで、再び出発しよう」
選択肢3「実家に立ち寄ってしまったら、自力で走破したことにならないので、そのまま立ち寄ることなく通過しよう」
・・・・そんな葛藤を感じながら、左に曲がれば京都市にある実家、右に曲がれば大阪府にある自宅への交差点に差し掛かりました。
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